by Satoshi Torigoe(スゴモノJAPAN)
本プロジェクトは全国各地の伝統技術、デザインを取り入れ、さらに新しい技術や手法を用いた「スゴモノ(凄いもの)」と呼ぶに相応しいものづくりに挑戦し、各地の新しいスーベニアとして誕生するモノで地域貢献を目指しています。
本プロジェクトが最初のスーベニア(お土産)としてリリースするのは、
スカジャン(英名: Souvenir Jacket スーベニアジャケット)。
スカジャンは虎や龍などの迫力ある刺繍、光沢のあるサテン生地で、コーディネートの主役となる定番アイテムとして広く流通しているものの、その誕生の背景にある群馬県桐生の千年を超える絹織物の歴史、また、終戦後の混乱期を生き抜く為に、庶民の知恵と技術により生み出されたデザイナーなき、そして戦争が生んだ日本発祥のファッションアイテムであることは、あまり知られていません。
海外生産が主流となり、スカジャン誕生の地、群馬県桐生市の歴史や伝統がまさにLOST LEGACY(失われた遺産)となりつつある状況に於いて、保存継承活動を続ける「桐生ジャンパー研究所」「桐生スーベニヤ協会」をパートナーに、2022年『全国47都道県 ご当地スーベニアジャケット(スカジャン)プロジェクト』が始動致しました。
スゴモノJAPANとして、各地の伝統文化や技術と新しい視点と技術と組み合わせ、お土産としてのコンセプトを軸に、世界へ向けスカジャン/スーベニアジャケットのPR、そして可能性を広げる製品づくりに取り組みます。
青森県の伝統刺繍技術である「こぎん刺し」の精緻な技術と、ねぷた絵の迫力あるデザインが融合した、「こぎん刺し」×「ねぷた絵」の世界初のコラボレーションの実現。
青森県五能線木造駅の駅舎に張り付く巨大モニュメントでも有名な縄文文明の象徴、つがる市出土の「遮光器土偶」。
2つの要素が桐生ジャンパー研究所の技術と経験により1着のスカジャンとして体現され、さらに青森県弘前市や津軽地方在住の皆様のモデル参加とご協力により唯一無二、made by Aomoriと呼べるスーベニアが誕生しました。
本製品を通じて、こぎん刺し、ねぷた絵など青森県伝統文化のPR、そしてデザイン、ファッション性を持つ令和時代の新たなスーベニア(お土産)としての販売を通じ、地域貢献とクリエイターへの還元を目指します。
今後、スゴモノJAPANでは、「全国ご当地スカジャンプロジェクト」の主旨に共感いただける全国各地の様々な人、企業、自治体に参画いただき、スカジャン(スーベニアジャケット)の魅力を様々な視点、技術を用いて新しい形「スゴモノ」として提示して参ります。
※2023年5月より受注を開始いたしました。(現在は終了)
by 松平博政/Hiromasa Matsudaira(桐生ジャンパー研究所/桐生スーベニヤ協会)
津軽地方の冬は厳しい。
寒さによって綿は育たず、他藩から買い付けするのが高価だったこともあり、津軽藩は農民たちに麻を栽培させ、採った麻を織り、着物とするように命じた。その着物に工夫をこらし、女性たちが、一針ずつ麻の布に糸を刺し、補強と保温を持たせたことがこぎん刺しのはじまりである。
今から300年以上前の江戸時代のことだった。
だが、明治維新を経て木綿が津軽地方にも流通するようになると、人々は温かな木綿素材を好むようになり、麻を素材とした技法は一時途絶えてしまった。
まさにロストレガシーだった。
昭和に入り柳宗悦らの民藝運動の影響や重要有形民俗文化財の認定をきっかけに、こぎん刺しは伝統工芸品として再度注目を集めることとなった。
戦後に群馬県桐生市で盛んに製作されたスーベニアジャケットは、さまざまな工夫がなされてきた。
冬季のクリスマスシーズンに需要が高まったことから、足袋などに使われていた毛足の長い綿の別珍素材を採用。さらに、繊維を粉砕したクズ綿を固めて中綿とし、キルトステッチで押さえることで保温性を高めたものも存在した。
また、手刺繍によるスーベニアジャケットも初期にはたくさん製作されていた。モチーフは龍などのオリエンタルな柄が多く、兵士が寄港した港や国の名前を施したデザインが主流であった。
着物の端切れをポケットの袋布に使用するなど、モノを無駄にしない精神は、こぎん刺しにもスーベニアジャケットにも宿っているのだ。
A面(表)の別珍の藍染めは、天明・寛政時代からの紺屋で、当時からの建物と藍瓶(あいがめ)、藍場(あいば)を修復して、津軽天然藍染の継承に努めている津軽天然藍染川﨑染工場の手仕事による。
化学物質を一切使用せず、すくも(藍の葉を発酵させたもの)を木灰汁(木の灰からとった汁)建てした、日本古来からの正藍染である。
スカジャンファンにも人気の高い髑髏柄は、国の重要無形民俗文化財に指定されている「弘前ねぷたまつり」で活躍するねぷた絵師野村氏の描きおろしである。さらに、cogin+T(こぎんと)、さしぼぅ氏の手によって、髑髏柄こぎん刺しのモチーフが1ヶ月以上かけて製作された。
最後に、桐生ジャンパー研究所の職人による横振り刺繍によって津軽と桐生のマリアージュが完成した。
青森県つがる市にある縄文時代晩期の集落遺跡である亀ヶ岡遺跡。
ここから出土した遮光器土偶をB面(裏)の桐生製のレーヨンサテンに施した。土偶の完成当時を想像して、象徴的な文様を光の角度を計算しながら配置している。中綿とキルトステッチを横振り刺繍の上から刺しているのも戦後当時の製法である。
桐生でスーベニアジャケットが生産されていた1949年(昭和24年)以前、日本における人類の歴史は縄文時代からとされており、旧石器時代の存在は否定されていた。しかし、この年、相澤忠洋氏が、桐生市近郊において岩宿遺跡を発見した。縄文時代以前に日本最古の「一時代」があることを証明したのは、スーベニアジャケットが大量に作られていた時代のこの地域においてであった。
これほどの悠久の歴史を体現しながら製作するスーベニアジャケットは、ここにしか存在しないだろう。先人の歴史を学べば学ぶほど、感謝を感じずにはいられない。
by 小林 和樹(つがる市教育委員会 文化財課 文化財保護係 学芸員)
遮光器土偶は、約3000年~2400年前の縄文時代晩期、北東北を中心に制作された土偶の一種です。眼鏡をかけているような大きく誇張された目が特徴で、北方民族がスノーゴーグルとして使用した「遮光器」に似ていることから名付けられました。
それらの中でも、つがる市の亀ヶ岡石器時代遺跡から出土した重要文化財の遮光器土偶はとりわけ有名で、日本を代表する土偶といっても良いかもしれません。今から130年以上前の1889年(明治20年)、田んぼでの農作業中に偶然掘り出されたもので、現在は東京国立博物館に所蔵されています。
高さ約34センチの大型土偶で、正面、背面ともに縄文晩期特有の精緻な文様が施されています。中が空洞の「中空土偶」であり、高い技術を持った縄文人によって制作されたことがうかがえます。
また、一部に赤い顔料が残っており、作られた当時は全身が真っ赤に塗られていたと考えられています。「赤」は炎の色、血の色でもあり、縄文人にとって魔除けの意味も持つ特別な色だったのでしょう。
この著名な遮光器土偶が発見された亀ヶ岡石器時代遺跡は、古くは江戸時代から珍しい品物が掘り出される地として知られていました。中には長崎の出島から、骨董品として遠くヨーロッパへと渡った土器もありました。
一方で、なぜ精巧な土器や土偶が亀ヶ岡から多く見つかるのか、という点については、考古学者によって様々な説が唱えられてきました。近年の発掘調査により、亀ヶ岡の地は縄文人たちの大規模な共同墓地であり、埋葬と祭祀が長期間にわたって行われていたことが分かりました。
彼らの故人や遠い先祖を想う気持ちが、縄文芸術の極致ともいえる亀ヶ岡文化を開花させたのかもしれません。
亀ヶ岡石器時代遺跡は、縄文時代の祭祀・儀礼の在り方や、高度な精神文化を示す遺跡として重要であり、「北海道・北東北の縄文遺跡群」を構成する17資産の一つとして、令和3年7月に世界文化遺産へ登録されました。
青森県内には、青森市の三内丸山遺跡や八戸市の是川石器時代遺跡をはじめとする8資産が所在しており、縄文時代の人々の暮らしに思いを馳せることができます。
そして、遮光器土偶のふるさと・つがる市には、同じく世界文化遺産となった田小屋野貝塚のほか、ニッコウキスゲの大群落が咲き誇るベンセ湿原、赤い千本鳥居が神秘的で美しい高山稲荷神社など、たくさんの見どころがあります。
皆さまも是非つがる市に足を運んでいただき、縄文時代から続く豊かな自然と悠久の歴史を感じていただければ幸いです。
今回始動した『全国47都道県 ご当地スーベニアジャケット(スカジャン)プロジェクト』。その第1弾として、青森県が選ばれたことを大変うれしく思っております。
津軽の伝統が織りなす、力強く美しいこぎん刺し×ねぷた絵のコラボスカジャン、縄文の美をそのままに、精緻な刺繍でサテンへと移し込んだ遮光器土偶スカジャン、どちらもこれまでにない、青森県の新しいスーベニアです。
青森に住まう先人たちの残した、こぎん刺しと遮光器土偶という2つのロストレガシーが、スカジャンの上で復興した誇るべき姿を皆さまも是非ご覧ください。
兼業芸人・こぎん刺し作家・cogin+T(こぎんと)店主
東京都国立市出身。演劇の専門学校を卒業後、派遣社員や契約社員としてIT系の仕事をしながらインディーズのお笑いライブ等に出演。2019年に東京都中野区から青森県弘前市に移住し、こぎん刺しを実際に刺してTシャツにプリントするというコンセプトのオンラインショップ「cogin+T(こぎんと)」をオープン。クラフトイベントへの出店やIT関連の在宅ワークなどを行いながら兼業芸人として活動中。
前身頃の髑髏のこぎん刺しの図案作成、およびこぎん刺し製作を担当しました。
最初にプロデューサーさんからスカジャンのデザインイメージの資料をいただいたのですが、そこでは髑髏の部分は「ビンテージのスカジャンに刺繍されていた図柄」になっていました。
これを見たときに「髑髏がモチーフならばぜひ『ねぷたの髑髏』を再現してみたい」と思い、ねぷた絵師の野村雄大さんに下絵を描いていただけるようお願いをしました。
また一方で、普段からとても緻密なこぎん刺し作品を製作している、作家仲間のさしぼぅさんにも声をかけ、手分けして作業を進めることにしました。
野村さんには下絵の製作段階からいろいろな意見をいただいて、ねぷたや錦絵に関するいろいろなお話を伺うことができましたし、さしぼぅさんとは何度も打ち合わせをしながら「よりねぷた絵の雰囲気が出るように」と一緒に工夫して作成してきました。
完成したこぎん刺しを見て、「本当にねぷた絵がこぎん刺しになった」と感じられた時は大変うれしかったです。この3人で作業ができたからこそ、このこぎん刺しが作れたのだろうと思っています。
こぎん刺しは民間の伝承として今日まで残ってきたという経緯があり、またスカジャンも戦後の混乱期の中で庶民の間で生み出されたものであると今回お伺いして、「文化の融合」のようなものを感じ、とても楽しく関わらせていただきました。素敵なプロジェクトに製作者として携われたことを大変光栄に思います。
大好きな津軽地方の文化と、新しく出会った群馬の技術に、心からの敬意を持って製作させていただきましたので、ぜひ多くの皆さんにこのスカジャンを見ていただきたいです。
写真撮影に協力してくださった、いつもお世話になっているみなさん、今回のプロジェクトをご紹介いただいた三つ豆さん、プロデューサーの鳥越さんに改めてお礼申し上げます。ありがとうございました!
青森県弘前市在住こぎん歴10年
リネン生地や目の細かい生地を用いた作品をメインに活動。
後身頃の図案及びこぎん刺し担当
制作秘話は私以外のお二方がほとんどをお話しているのでそちらをご覧下さい。
見どころ/苦労したところは後身頃の色合いです。描いて頂いた素敵な原画を忠実に再現したかったので。
このスカジャンが、こぎん刺し、弘前ねぷた、土偶に興味を持つ入口の1つになると嬉しいです。
1996年弘前市生まれ。物心がつく前からねぷたに夢中で、幼い頃からねぷた絵師を志す。独学で絵を学び、大学在学中の2016年に20歳でねぷた絵師デビュー。
現在は市内の会社に勤務しながらねぷた絵師として活動中。デビュー以降は弘前市、平川市、藤崎町などの扇ねぷたや組ねぷたを手掛けるほか「弘前ねぷた浅草まつり」や「北斎祭り」、「JAPAN EXPO in スリランカ」など国内外に出陣した遠征用ねぷたも制作。個展やグループ展等を数回開催し、出品している。
新型コロナウイルスで弘前ねぷたまつりが中止となった2020年には「お家でねぷたペーパークラフト」を発表。全国のコンビニやインターネットからプリントし、家庭で手軽に弘前ねぷたを楽しめる企画を行った。
背面のねぷた絵の原画を制作。画題は「牡丹に髑髏図」
このお話をいただいたときは、「スカジャン?こぎん刺しで?ねぷた絵…???」と頭が?マークでいっぱいになりました。
弘前ねぷたの絵はおどろおどろしい絵柄が好まれ、特に生首、血飛沫、幽霊、ドクロなどは定番の題材となっています。また、ビンテージのスカジャンにはドクロのデザインがあったということから最初の図案では「蛇と髑髏」でした。
しかし、蛇が細かくてこぎん刺しで再現するには難しいということで2つめの図案を考えることになったのですが、ドクロだけでは全くねぷた感が出ずに悩みました。そこで皆さまと協議した結果、牡丹を加えることでねぷた感を演出することができました。
牡丹はねぷたの「開き」という部分に描かれる絵柄で、弘前藩の家紋が牡丹であったことに由来しています。
牡丹と髑髏は一見ミスマッチのような組み合わせですが、牡丹の持つ華やかさと艶やかな表情、髑髏の持つおどろおどろしさと静寂さが独特の雰囲気を醸し出す絵に仕上がったかなと思います。
こぎん刺しでねぷた絵を再現するのは、おそらく世界初ではないでしょうか。そんな世界初の瞬間に携わることができ、感謝しております。ありがとうございました。
今年は弘前ねぷたが文献に登場してから300年の節目を迎えます。コロナ前のようなねぷたまつりに戻るにはあと数年の我慢が必要かもしれませんが、3年ぶりのまつり開催と300年の節目を盛大にお祝いできればと思います。