by Satoshi Torigoe(スゴモノJAPAN)
本プロジェクトの第1弾として2022年6月10日に公開した「全国47都道府県 ご当地スカジャンプロジェクト 青森 こぎん刺し×遮光器土偶スカジャン(スーベニアジャケット)」に続く次なる製品は、
スカジャン(スーベニアジャケット)の魅力を伝え、その可能性を世界へと発信するために作られた
世界初、3回リバーシブルする事で、4種類のデザインへと変化する「4WAYリバーシブルスカジャン」です。
100万針超のスパンコール加工された滑らかな表面を手でなでる事により絵柄が、表で2種類、裏で2種類、計4種類のデザインへと変化。
ギミックの新規性のみならず、リバーシブルスパンコールが持つ独特の輝き、豪華さ、重厚感はかつてないスカジャン(スーベニアジャケット)として異彩を放ち、見る人、着る人も感嘆する挑戦的な製品となりました。
日本でただ1人、スカジャン絵師として活躍する横地氏の図案、刺繍及びプリントのスペシャリスト 山井氏のディレクションにより度重なる試行錯誤を経て、
群馬県桐生市で活動を続ける「桐生ジャンパー研究所」「桐生スーベニヤ協会」の松平氏の卓絶した技術により仕上げられた世界でたった1着のスカジャンです。
展示会等を通じて、多くの方に実物を着用し、体験いただく機会を作りたいと考えております。
また今後、本技術を使った新しい製品の創出と提供を検討しております。
スゴモノでは様々なクリエイター、職人、技術者とのコラボレーションを通じて、
新しい視点と技術と組み合わせた「誰も見たことのないモノ」への挑戦、
そしてロストレガシーを現代に合わせて再興する事で生まれる「新しい価値観の提示」を目指してプロジェクトを進行して参ります。
※イベント等での展示を予定しております。詳細は後日SNS等で告知いたします。
by 松平博政/Hiromasa Matsudaira(桐生ジャンパー研究所/桐生スーベニヤ協会)
スーベニアジャケットは、戦後すぐに群馬県桐生市で大量に製作された進駐軍兵士のためのお土産である(「スカジャン」という名称は1960年代以降の日本での呼称のため、ここでは当時の表記を採用し「スーベニヤジャケット」で統一する)。
その製作方法は、まるでオートクチュールである。
それは、兵士の注文によりオーダーメイドで1点1点縫製される。刺繍・リブ・ジッパーなどの加工は、専門の家内制手工業のアトリエ(!)で手作業で仕上げる。
桐生では1951(昭和26)年時点で26軒のジャンパー屋があったという。
これは組合に参加した業者の数であり、専門のアトリエはさらに数百軒に及んだ。
ジャンパー屋をオートクチュール界に例えれば、パリ・クチュール組合加盟店のいわゆるメゾン(maison)と同様であるといえまいか。
そして、いま、当時の製作方法でスーベニヤジャケットを作ることができるメゾン(!)は、桐生ジャンパー研究所しかないのである。
オートクチュール刺繍には、たくさんのビーズやスパンコールを生地の裏側から刺繍する独特の手法が存在する。
スゴモノの第1弾として、世界一の技術を集約したスーベニヤジャケットとしてふさわしいのは、このスパンコールを全面に配したこれまで誰も手がけていない製品であろう。
そして、4WAYで違う柄や配色を楽しむことが出来る世界初のスーベニヤジャケットに仕上げた。
図案は、スカジャンの聖地といわれる横須賀市在住で日本で唯一のスカジャン絵師・横地広海知氏の描きおろしによる。
A面(表)に定番モチーフの虎柄を、B面(裏)には定番モチーフにアレンジを加えた鷹と地図をあしらった。スパンコール自体が表裏でリバーシブルになっているため、リバーシブルのリバーシブルで全部で4面、スカジャン絵師・横地氏の図案を楽しむことができる。
さて、1960年代から始まったプレタポルテ(高級既製服)コレクションの隆盛によって、オートクチュールの需要は著しく減少した。
スーベニヤジャケットも例外ではない。
当初オーダーメイドで製作していたものが、次第にプリントなどを使用した大量生産に移行し、1970年代以降はコンピューター制御による機械刺繍を使用した商品になっていく。
2022(令和4)年現在では、市場に出回るスカジャンのほとんどが日本以外の国で生産されているか、機械刺繍の商品である。戦後の繊維製品のお土産の草分けがスーベニアジャケットであるが、その製作方法は現代社会において、絶滅寸前のロストレガシーといえる。
しかしながら、オートクチュールは決して廃れない。
それは常に憧れの的でありつづけるからだ。常に最高の技術をつぎ込み、人材育成の仕組みも確立されている。桐生ジャンパー研究所を通じて製作したスーベニヤジャケットも、常に憧れられる存在を目指したい。
1949(昭和24)年、進駐軍の旺盛な需要に応えるために、桐生スーベニヤ協会が設立された
様々なスーベニヤグッズを企画・開発するためだった。
このたび、当協会を先人から受け継ぎ、完全復活することとした。
折りしも、世界で猛威を振るうコロナ禍によるインバウンドの減少により、日本全国の観光業界は大きな打撃を受けている。
お土産(スーベニヤ)文化を日本人の手でもう一度復興し、国内での生産から販売までの好循環を構築することが、真の持続可能社会の実現になると確信している。
私たちは様々な分野のロストレガシーを活性化するため、本サイトを立ち上げた。桐生スーベニヤ協会の認定を受けたアイテムのみをスーベニヤグッズとして商品化していく。
オートクチュールの本場フランスでは、職人の技術を伝える専門職業学校や研修制度のシステムが充実している。
日本のロストレガシー業界においても、将来的に人材育成の仕組みを構築する。現在の困難な状況でも、先人の知恵から学び、活かすことを怠らなければ、世の中を動かすことができる。
「4WAYスパンコール スーベニヤジャケット」はそんな人々の思いを込めて作られている。
1981年名古屋市生まれ。
パリ、神戸、都内を経て横須賀に惚れ込み08年に移住。
幼い頃からの派手好みで、学生時代からスカジャンこそが日本発ファッションの最高峰だと意識していたため、いつかはデザインに関わると心に決めていたが、一念発起しドブ板に事務所を構えたことでスカジャン柄のデザインに関わり始める。
実験心理学の研究者からイラストレーターに転向した経歴を活かし、綿密な調査に基づいた柄の作成を行う。
スカジャン黎明期1940-50年代の伝統柄と呼ばれるタッチの柄を復興することをライフワークとし、手振り刺繍と同じように刺繍目を入れながら面を塗る独特の作画を特徴とする。
個人のオーダー柄はもちろん、還暦用スカジャン「還ジャンⓇ」やスポーツ競技大会の公式スカジャンなどのデザイン制作を行いつつ、お守り・手ぬぐい柄・スーツ・ピアスなどスカジャン柄を使用した新プロダクトの開発を積極的に行っている。
スカジャン柄およびスカジャンボディのデザイン。
両面スパンコールの1着4柄のスカジャン。
プロジェクトに誘って頂いた際には、なんて贅沢な柄の使い方をするんだろう? とワクワクしました。
スパンコールの両面プリントは見たことがありますが、それがスカジャンのカタチになったら、どうなってしまうのか? そしてただでさえ派手なスカジャンがどれくらいきらびやかになってしまうのか? 想像しただけで派手好きには堪らなかったです。
特殊な制作方法から困難な場面も多かったと聞いておりますので、アイテムが公開にこぎつけられホッとしております。
後世に残る「派手好みスカジャン」に携わる機会を頂き、本当にありがとうございました。
東京オリンピックでもお土産品として話題になったように、スカジャンは日本を代表するプロダクトだと思っています。
特に派手好みのひとにとってここまでアイデンティティを表現できる洋服は他にないのではないでしょうか? ぜひ、スゴモノJAPANのユニークなスカジャンに触れていただき、個性を詰め込んだオーダースカジャンに興味を持っていただけたら嬉しいです。
栃木県足利市出身。上京し服飾専門学校を卒業後、アパレル企業で働いたのち、地元足利市へ戻る。
アパレル製品などのものづくりに携わりたいと思い、桐生周辺の刺繍やプリントを扱う会社に勤め、ジャガード刺繍機や特殊ミシン、昇華プリント等の二次加工の知識や経験を得て、刺繍をメインとした二次加工のサポートを担う活動をしている。
生地へのスパンコール刺繍およびスパンコールへの昇華プリントを担当。
スパンコールの表と裏にそれぞれ別の柄を昇華プリントをして、それをひっくり返して楽しめる面白いギミックをもっと世に発信しないと!と思い自ら撮影しをし、YouTubeやSNSに上げたリバーシブルスパンコールの動画をきっかけにお話をいただきました。
全面リバーシブルスパンコールのスカジャンを作りたいとお話を聞いた時は、作った事はもちろん見た事もないので、本当に実現可能なのか?!と思いつつ、やった事ないことに挑戦して実現させてみたい!という気持ちは私もプロデューサーさんも一緒だと思ったので、全力でやりきろうと思いました。
プロデューサーさんと何度もやり取りをし、昇華プリントの方法やプリントデータの修正など試作に試作を重ね、最終的にスカジャンになった作品を見て、最後まで挫けず作り上げられてよかったなと心から思いました。
初めての試みに皆さんと共に挑戦できたことは私にとってもとても貴重な経験になりました。携われて大変光栄です。ありがとうございました。